
りたのいえ代表・(株)南富自動車サービスエリア会長 中村 優子さん
北海道のほぼ中央に位置し、美しい山々と湖に囲まれた南富良野町。そんな南富良野で、世代を越えて人々が自然体で集うコミュニティスペース「りたのいえ」。今回は、この場所を立ち上げた中村優子さんに、ご自身のこれまでの歩みや「りたのいえ」のお話、そして南富良野の魅力について伺いました。
1. 何でも自分たちで作った少女時代——「自立」の原点
–本日はよろしくお願いします。中村さんは南富良野に長く住んでいらっしゃいますが、まずは子供の頃の思い出や、この町の原風景について教えていただけますか?
中村:私は金山地区のトナシベツという、夕張岳の登山口に近い大自然の中の農家で生まれました。祖父は金山に砂金取りで入って、他に夕張岳の登山インストラクターをやったりしていたような人でした。父は農業でしたが、一時は林業に携わったりしていました。兄弟は兄が4人いて女の子らしい遊びはあまりしませんでしたね。野山を匍匐前進したり、いつも男の子たちに混ざって駆け巡っていました。
–すごくアクティブですね!
中村:そうなんです。鉈(ナタ)や鋸(ノコギリ)を自由に持ち出しても許される家だったので、山の中で秘密基地を作ったりして遊んでいました。父も機械に強い人で、スクラップみたいなトラックを買ってきては全部バラして、子供たちと一緒に組み立て直して畑を走らせるような人でした。だから子供心に「大人は誰でも家も建てられるし、機械も直せるし、何でもできるんだな」と思って育ちましたね。
2. 会社を襲った最大の危機・大水害——「自分たちで引き受ける」という覚悟

(株)南富自動車サービスエリア
–大人になってからは、お兄様が創業された「(株)南富自動車サービスエリア」を長年支えてこられました。会社を経営される中で、一番の危機はどんなことでしたか?
中村:やはり2016年の大水害ですね。川から1㎞近く離れていますしここが水害に遭うような場所だとは思っていなかったので、本当に想定外の出来事でした。周りでは多分、会社は存続できないだろうと思われていたと思います。

会社に保存されている新聞切り抜き
中村:「絶対に会社はつぶさない」その強い思いだけで必死でした。ありがたいことに、グループ会社や取引先の方々が100人体制で支援に駆けつけてくださり、毎日の食事まで運んできてくださいました。皆様のおかげで1週間でなんとか会社を復活させる状況に出来たんです。自分たちの力ではどうにもできないことがあると思い知りました。これからは「想定外」という言葉を言い訳には出来ないと思うようになりました。生きる中で「人のせいにはしない。すべて自分で引き受ける」というのはいつも思うことですね。
3. 「りたのいえ」に込めた思いと、仲間たちとの葛藤
–2024年の秋、コミュニティスペース「りたのいえ」をオープンされました。会社経営を続けながらまったく違う活動を始めたきっかけは何だったのでしょうか?
中村:隣の富良野市で開催されている「ふらの未来ラボ」という集まりに参加したことが、大きなきっかけでした。そこは年齢や肩書に関係なく、みんなで一緒に絵を描いたり学んだりできる、とても居心地の良い場所だったんです。私自身、50年近く会社を切り盛りしてきて、「老後の楽しみとして、南富良野にもこんな場所があったらいいな」と少しずつ考えるようになっていました。
そんなある日、ご近所のおばあちゃんたちが「みんなでお茶を飲む場所がないのよね」とこぼしているのを耳にしたんです。「週に1、2回でもおにぎりを持ち寄って、みんなで楽しくおしゃべりできる場所があれば良いのにな」そう思った瞬間、以前から温めていた「誰もが集える場所を作りたい」という夢が、はっきりとした決意に変わりました。
りたのいえ外観
ロゴ
–ロゴマークもすごく素敵ですが、これには深い思い入れがあるそうですね。
中村:はい。名前の「りた」は、自分の利益よりも他者の幸福を優先するという「利他」の心からつけました。そしてロゴにある「3本の木」は、オープンの直後に亡くなった最愛の兄が、お祝いにと庭に植えてくれたものです。「この3本の木だけは絶対に入れてほしい」とデザイナーさんにお願いして、文字は5年生の孫に書いてもらって作りました。
–スタッフの方々も、皆さん個性的で自立されていると伺いました。どのように集まったのですか?
中村:マッサージやデザインなど、色々な特技を持った女性たちが自然と集まってきてくれました。ただ、オープン当初は運営の方向性について少し揉めることもありましたね。
–立ち上げの時期ならではの苦労ですね。どのような葛藤だったのでしょうか?
中村:皆それぞれが熱い思いを持っているから「ボランティアの気持ちだけで持続可能なのか」「活動に対する負担や評価のバランスをどう取るべきか」のような、現実的な運営の仕組みづくりでみんなそれぞれ意見があって。でも、そういった現実的な心配に縛られて、何もできなくなってしまうのはもったいない。だから私の想いを会議の時にみんなの前で話したんです。「最初の3年間は私が運営の土台に完全に責任を持つから、現実的な心配はしないで、まずはみんなで笑顔で活動しよう」と伝えました。そういうことがあってからは自然と軌道に乗っていきましたね。
4. 個性あふれる企画の数々と、スタッフへの感謝
–軌道に乗ってからは、具体的にどのような活動をされているんですか?
中村:本当にいろいろな企画をやっているんですよ。例えばこんな集まりがあります。
- 「おやじの会」や「Z世代を知ろう」といった多世代の座談会
- 「森林博士の講演会」のような学びの場
- 日常的に開かれる「カフェ」や「パン販売」
- 起業を志す人やビジネスマンが繋がる「異業種交流会」
どれもスタッフや参加する方が主体となって、どんどん生まれているんです。

–魅力的なイベントばかりですね!反応はいかがですか?
中村:今はSNSなどを使ってスタッフが上手に発信してくれているので、町外の人から「面白そうなことをやってるね!」「どうやって企画してるの?」と聞かれることが増えました。スタッフそれぞれが自立して自分の得意なことをやってくれているので、私としてはもう大満足です。私にできないことを皆さんがやってくれていますし、それぞれの思いを尊重しながら活動してくれていることに、感謝の気持ちしかありません。
5. 今後の目指すところ——町の人にもっと利用してほしい
–最後に、「りたのいえ」の今後の目標や目指すところを教えてください。
中村:地元の人がもっと立ち寄れる場所にしたいというのが一番の目標です。もともと普通の民家だから、どうしても初めての人は「入りづらい」と感じてしまうようなので。
–たしかに、中が見えないと少し勇気がいりますよね。
中村:そうなんです。もっとオープンになるような工夫をしていきたいですね。この間も、町で働くインドネシアの若い女の子たちがご飯を作って持ってきてくれて、「言葉を教え合おう」という話になりました。そんな風に、世代も文化も関係なく自然に交ざり合うオープンな場所になればいいなと思っています。
–移住を検討している方にとっても、こういう場所があるのはすごく心強いと思います。
中村:南富良野は自然が本当に素晴らしい町ですが、それ以上に「何もないなら自分たちで作る」というたくましさを持った人がたくさんいます。南富良野に来たい、ここで新しく何かを始めたいという人がいれば、「来る者拒まず」でいつでも歓迎しますよ。