南富良野町

何も知らずに南富良野で農業を始め、農業と女性の地位向上に奮闘した50年

北海道指導農業士 、元JAふらの理事 岩永 かずえさん

 

南富良野町で農業を始めて50年以上。農業の経験も知識もないまま福井県から南富良野へ夫とともに移住し、厳しい農作業に向き合ってきた岩永さん。移住当初は「1年もたないんじゃないか」と周囲から思われていたという。農業を一から覚え、地域の人たちに支えられながら農家として歩み続けた。そしてもう一つ、岩永さんが長年取り組んできたのが、農業に携わる女性たちの地位を高めること。「家族経営の農家では女性も経営を担っているのに、なぜJAの意思決定の場に女性がいないのか」そんな疑問から始まった活動は、やがて女性理事の誕生へとつながっていった。今回は、南富良野で農業と地域に向き合い続けてきた岩永さんに、これまでの歩みと、南富良野への思いを伺いました。

 

 街灯もない暗闇でのスタート 

 

──まず、最初に南富良野町に来られた時の第一印象から教えていただけますか? 

 

岩永さん:もう「え、嘘?」っていうのが正直な感想でしたね。私は福井出身で学生時代は名古屋でも生活をしていたので最初はびっくりしました。幾寅駅前の旅館に入ったのですが、夫に「一番賑やかなところへ連れて行って」と言ったら「ここが一番だ」と言われて(笑)。

当時は北落合に向かう道も舗装されておらず、車がすれ違うのも大変な場所がありました。私が一番恐ろしかったのは、夜の「暗さ」です。街灯も電柱の明かりもない本物の暗闇。自分の勘で歩くしかなくて、道からはずれて下に落ちたこともありましたね。 

 

──そこから農業経験ゼロでスタートされたのですね。 

 

岩永さん:そうです、全く経験はありませんでした。知識も体力もなくて、夫(お父さん)に言われたことをただ「はい、はい」とやるだけで精いっぱい。役場へ挨拶に行った時も、周りからは「旦那の方は見込みがあるけど、あの嫁さんは1年もたないだろう」なんて言われていたみたいです。 

 

──最初は作業についていくのも一苦労だったのではないでしょうか。 

 

岩永さん:力仕事なんて全然できませんでした。忘れられないのが、トラクターのエピソードです。乾草をトラクターの後ろに積む作業で力のない私が手間取っていたら、夫がイライラして「お前がトラクターを運転しろ、俺が後ろに行く」と言い出して。口頭でトラクターの操作を簡単に教わっただけで動かしたんですが、谷に向かって傾いていって怖くなり、間違えてブレーキだけを踏んでしまったんです。

その時、夫が怒鳴ったのが「トラクターが壊れる!」だったんですよ。私の心配じゃなくて「トラクターが大事なの!?」って、ものすごく腹が立ちましたね(笑)。

 

 

 資金の無いところから地域に助けられた再起 

 

──その後、大変なご苦労で一時福井に戻られた時期もあったそうですね。 

 

岩永さん:夫が体調を崩し、福井で入院することになりました。牛もすべて手放して福井へ戻り、夫が回復して南富良野に帰ってきた時には、手元にお金なんて全くありませんでした。もう牛を買う資金もないから、畑作に転換するしかなかったんです。

 

 ──資金がない中での畑作スタートを、どのように乗り越えたのですか? 

 

岩永さん:地域の方にトラクターを借りに行ったら、そこのおじいさんが「使え」って。当時高級品だったトラクターをただで貸してくださったんです。「お金はいらない」と言ってくれて……自分たちの苦しい姿を遠目で見守ってくれていたんですね。その優しさに、心から感謝しました。

その時、夫婦で話し合ったんです。「私たちはこうして助けてもらったんだから、これからここにやって来て『教えてほしい』という人がいたら、できる範囲で全員受け入れようね」って。 

 

──実際に多くの移住希望者を受け入れて来られたそうですね。 

 

岩永さん:全員が定着したわけではありませんでした。中には「やってくれるのが当たり前」という受け身の人や、すぐ不満を訴えるような人もいました。

夫はそういう姿を見ると、「自分たちが一生懸命やっていれば、周りが自然と助けてくれるものだ。なぜすぐ人のせいにするんだ」と怒っていましたね。「田舎暮らしへの憧れ」だけで来てしまったのかなと思います。

 

岩永農場の大豆畑

 

人間の都合ではなくジャガイモに寄り添う 

 

──畑作へシフトしてから、直販(宅配)も始められたそうですね。 

 

岩永さん:最初は収穫したジャガイモをそのまま出荷していたんですが、次第に「自分たちが一生懸命作った農産物が、お客様からどう評価されているのか知りたい」という思いが出てきまして。それで、当時はまだ珍しかった宅配事業を始めました。お客様から「美味しかったよ」という言葉をダイレクトでいただけるのが、生産者として一番の喜びでしたね。 

 

──特に「メークイン」づくりには並々ならぬこだわりがあったと伺いました。 

 

岩永さん:メークインって男爵とか他の芋と比べて評価が低いかわいそうな芋なんです。ジャガイモは枯凋剤を使って茎を枯らして収穫するほうが効率が良いので、そのように収穫されるのが一般的なんです。茎が枯れるともう養分は行きませんから。

だからうちのメークインは、芋が養分をもらう期間を少しでも長くしたいと思いました。「茎の養分が下の芋に完全に行くまで」じっと待つんです。もう雪との勝負ですよ。「雪が降るのが先か、私たちが収穫するのが先か」というところまで粘って収穫していました。そうすると、本当に美味しい芋になるんです。 

 

──箱詰めや保存作業でも、徹底した品質管理をされているそうですね。 

 

岩永さん:ジャガイモの箱詰めは、真っ暗な倉庫の中で手元の明かりだけを使って行います。芋は光や風に当たるだけで味が変わってしまうほどデリケートだからです。「せっかくいい味に仕上がってくれたものの品質を落としたくない」という一心でした。 

 

──そのこだわりが評価につながっていったのですね。 

 

岩永さん:ジャガイモの有名産地である十勝のお客様から「岩永さんのところの芋が良い」と言っていただいたり、毎年欠かさず買いに来てくれるファンができたりしました。作物が私たちに大切なことを教えてくれたのだと思っています。

 

岩永農場のメークイン

 

夫婦の対話から始まった組織改革—「共同参画」の本質 

 

──岩永さんは「農業は楽しい」とおっしゃっていますが、農業の一番の魅力は何ですか? 

 

岩永さん:まずは「結果が見える」ことですね。出来たものの品質やお客様から頂く声など、がはっきりと出ます。そして何より、農作業が終わった後に夫婦でお酒を飲みながら「今年はこれが良かったね」「あそこが悪かったね」と対等に語り合えることです。共通の認識を持って一緒に経営に取り組むプロセスそのものが、大きなやりがいでした。 

 

──その「夫婦での対等な経営」が、JA(農協)での女性参画運動へつながっていったのでしょうか。 

 

岩永さん:まさにそうです。農家は夫婦で一緒に経営している場合が多いのに、なぜJAの組織の意思決定の場には女性が少ないんだろう?と。おかしいと思ったんです。実際の農家経営では、高額な農機具を買うときなんか「お母さんが『うん』と言わなかったら買えない」という農家の話をよく耳にするのに。 

 

──当時の地域や組織の風潮はどうでしたか? 

 

岩永さん:昔は「夫の言うことに妻は従うのが当たり前」という時代です。声を上げ始めた当初は、「女がそんな場所に出て意見を言うものじゃない」「余計なことをするな」と強いバッシングを受けました。男性からだけでなく、女性からも反対されたりしましたね。

ただ、頑張って活動を続けていくと、少しずつ「あんたがそこまで言うなら、私達も頑張るか」と理解してくれる仲間が増えていったんです。

 

 

──そこから、組織として具体的にどのような「成果」や変化が生まれたのでしょうか。 

 

岩永さん:まずは地元のJAふらので叩かれても叩かれても粘り強く交渉したり、総代会でも発信し続け、理事の前の役職である女性「参与」を誕生させることができました。

そして私の部長任期の最後の年に、私ともう一人の女性の計2人が、ついに「女性理事」に就任することになりました。

「女性理事を上川管内のJAふらのが実現させた」ということで、それ以降、周りの組織もどんどん変わっていきました。

後日、JA北海道中央会の飛田会長(当時)が駆け寄ってきて、「岩永さんのおかげで、北海道の女性参画率が上がったんだよ!本当に頑張ったよな」と言ってくださった時は、最初から支えてくれていた会長の言葉に本当に嬉しくなりました。今では「特別職」に女性が就いているところもあります。昔とは全然違う景色になりましたね。 

 

──岩永さんの考える「共同参画」とは、どのようなものでしょうか。 

 

岩永さん:決して「女性対男性」という対立構造ではないと思うんです。「女性がいたら変わる」という単純な話でもないですし。

「男も女もない」大事なのは、同じ思いを持つ人がお互いの強みを活かして、一つの結果を作り出すこと。そのために女性も対等に意思決定の場に入るべきだと。共同参画って、そういうことだと思います。

どれだけ女性が声を上げても、男性側の理解がなければ絶対に実現できませんでした。最初から私の意志を理解し、男女共同参画が一番進んでいると言われていた熊本への視察に連れ出してくださったJA北海道中央会の飛田会長(当時)をはじめ、男性の理解者の存在には心から感謝しています。

そして活動を続ける中で、同じ思いを持つ「仲間」が出来ていきました。いろいろな場所で勉強し、発信してきて気づいたのは、「自分1人じゃ何もできない。最終的には仲間作りなんだ」ということです。 

 

波乱万丈の50年を振り返って—南富良野の空気と感謝 

 

 

──長年暮らしてきた南富良野の、どんなところが好きですか? 

 

岩永さん:もう、「空気」ですね。とっても清々しい空気。それと美しい景観です。雑草の中にひっそりと咲く可愛らしい花や、特に私が暮らす北落合の景色は最高ですよ。 

 

──波乱万丈な50年間の農業人生を振り返って、今どんな思いがありますか? 

 

岩永さん:この歳になって振り返ると、本当に色々な経験ができたなと思います。もし地元の福井で親が勧めるような人と結婚していれば平和だったかもしれません。

でも、すべてが渦中にいるときは本当に辛くて大変なんですけど、過ぎてしまえば良い思い出です。今では「よくぞ、こんな山の中に私を連れてきてくれて、お父さんありがとう」という感謝の気持ちでいっぱいですね。

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